はじめに チベットの歴史は、初期のチベタンスパニエルを理解するために重要である。この国は常に孤立しており、近くの中国やインド以外は、外の世界にほとんど接触を持っていない。チベット社会の隔離状態、政治的孤立、人々の遊牧生活の淋しさ、国内の村々のへんぴさは、すべての動物を殺すことを禁じた仏教の勃興とともに、チベット人の生活に犬が重要なものになる要素を持っていた。
 チベットは、中国帝国主義下にあった短い時期を除き、紀元前217年から独立し、17世紀には仏教国になった。チベット人は、信仰深い、平和を愛する民族で、仏教の独自のラマ教徒形式を持っていた。仏教においては象徴的なライオンが、中国やインドで解釈されたより、ずっと重要な役割を果たした。ライオンは、暴力や攻撃を乗り越えたブッダの力を象徴した。仏陀がライオンを従順に、忠実な犬のように、すぐ後に付いてくるように訓練したからである。その小さな修道院の犬はチベタンスパニエルの初期の典型だと考えられるが、ラマ教の師の後を忠実に追い、「小さなライオン」とみなされるようになった。このようにして、非常に大きな価値と名声を得た。
 この犬種はより高く認められるようになったので、中国の宮殿や他の国の仏教国へ犬を贈り物として贈る習慣が重要になり、交換に、多くの「ライオンの犬」がチベットへ戻された。この習慣は1908年ごろまで続いたと考えられる。宮殿と修道院間のチベタン・スパニエルの交換を通じて、この犬種は多くの東洋種と共通の祖先を持ちそうである。その中には、日本の狆や中国のペキニーズも含まれる。
 村々が最初の飼育場所であり、そういう村育ちのチベタン・スパニエルはサイズとタイプがまちまちだった。おそらく同種のものを飼育する価値がほとんど理解されなかったからであろう。4ポンド(1.8キログラム)から16ポンド(7.3キログラム)の範囲のもと、もっと小さな子犬が、普通は修道院への贈り物とされた。かわりに、修道院の飼育プログラムで使われていたこれらの小さな犬は、口吻が短いのが特徴で、中国種に似ている。それらは中国種の子孫である。もっとも純粋なチベタン・タイプは、ラサの西で発見された。中国犬でこの地域に入ってくるものはほとんどなかったからである。修道院と村々の間のはるかな距離で初期の犬のタイプが大きく違う理由がわかるに違いない。時折、チベタン・スパニエル・タイプの小型の同類を生み出す他のチベット種を見つけても、意外ではない。真のチベタン・スパニエルは、丸いか、猫足状のかわりに、野ウサギ状の足を持つチベット種の唯一のものである。それらは、チベタン・マスティフに輪郭がよく似ている。
 仏教が、チベット社会のこの犬種の卓越性に影響を与えたことは間違いない。仏教は動物の屠殺を禁じたばかりでなく、仏教徒は再生の教えを良く信仰していた。彼らは、自分たちは前世では動物だったかもしれないと信じた。この考えは、人間と動物の間に本質的な霊魂の違いはないという信仰と合体し、その結果、チベットの動物はあたたかい待遇を受けることになった。この教えをさらに進めるために、仏教徒は初期の中国の墓の中に、陶器や粘土製のチベタン・スパニエル・タイプの犬の彫像をたくさん入れた。この習慣は、来世においても、犬から恩恵を受けられることになると信じられていたからである。
 この犬種の生まれに関する資料は、初期の東方美術にしばしば描かれたチベタン・スパニエル・タイプの犬に見る事が出来る。紀元前1100年。シャン王朝時代の銅像や、1644年に始まった清王朝の少し前の中国のフー・リン・ドッグの翡翠の彫像などである。
 チベタン・スパニエルは、ペットや伴侶として称賛されただけでなく、すべての階級のチベット人に、役に立つ動物だと考えられた。その当時、犬は修道院の壁の最高所に座り、下の集落をよく見張っていた。鋭い目で遥かかなたまで見て吠え続けるので、抜群の番犬になった。チベタン・スパニエルは、見知らぬ人か侵入者がやってきたり、下で放牧されている羊の群れにオオカミが近づくと気付くのが早かった。そういう場合は、鋭く吠え続けて、近くのチベタン・マスティフに知らせた。大型のマスティフは、その頃訪問者の張り番をしていた。高いところに座って下の地域を見渡す習慣は、今日のチベタン・スパニエルにも守られている。
 1800年代後半のある時、マクリーン・モリス夫人が初めてチベタン・スパニエルをイギリスに連れていった。1920年代には、東洋の医療使節であるアグネス・R・H・グレイグ医師は、母のA・R・グレイグ夫人に数頭送った。彼女はそれらを出陳し、繁殖プログラムをスタートさせた。いたましくも、第二次世界大戦を生き延びたこの系列の犬は、今日の血統に現れるスカイエドだけだった。
 戦争が始まった年、シッキムに住むイギリス人夫妻のエドワード卿とウェイクフィールド夫人は、西チベットの貿易業者カーンシ・ラム博士から1938年にメスを贈られた。ウェイクフィールド夫妻は、彼らのメスのマギウーリと交配させる目的で、タシゴン修道院からオスのタシを手に入れた。
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